血脈相承とご入滅(けちみゃくそうじょうとごにゅうめつ)

血脈相承とは、仏法が師匠から弟子へと正しく受け継がれていくことを、親子の血筋の継承に譬(たと)えた仏教語です。
日蓮大聖人は、数多(あまた)の弟子の中から日興上人(にっこうしょうにん)ただお一人を後継者と定め、仏法のすべてを付嘱(ふぞく)され、弘安5年(1282年)10月13日、安祥(あんじょう)として入滅されました。

身延でのご付嘱(ふぞく)
身延でのご付嘱
■身延でのご付嘱(みのぶでのごふぞく)

日蓮大聖人は、日興上人に金口嫡々(こんくちゃくちゃく)・唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈相承の証として、弘安5年(1282年)9月、『日蓮一期弘法付嘱書(にちれんいちごぐほうふぞくしょ)』を授けられました。
この書には、日興上人を本門弘通(ぐずう)の大導師(だいどうし)と定め、門下を統率し正法正義(しょうぼうしょうぎ)を後世に伝えて、富士山に本門寺の戒壇を建立するようご遺命されています。

門弟に護られ身延を出発される日蓮大聖人
門弟に護られ身延を
出発される日蓮大聖人

同年9月8日、健康を損なわれていた大聖人は、弟子たちの熱心な勧めによって、湯治(とうじ)のため常陸(ひたち)へ向かうことにされました。日興上人をはじめとする門弟たちに護られて、身延の地を出発された大聖人は、9月18日、武蔵国(むさしのくに「東京都大田区」)池上宗仲邸(いけがみむねなかてい)に到着されました。

『日蓮一期弘法付嘱書(にちれんいちごぐほうふぞくしょ)』
『日蓮一期弘法付嘱書』
『日蓮一期弘法付嘱書』(にちれんいちごぐほうふぞくしょ) 〔書き下し〕

日蓮一期(にちれんいちご)の弘法(ぐほう)、白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう)に之(これ)を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此(こくしゅこ)の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事(じ)の戒法(かいほう)と謂(い)ふは是(これ)なり。就中我(なかんずくわ)が門弟等此(もんていらこ)の状(じょう)を守るべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 九月 日
日蓮花押(かおう)
血脈(けちみゃく)の次第(しだい) 日蓮日興

池上でのご付嘱
池上でのご付嘱
■池上でのご付嘱(いけがみでのごふぞく)

日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)10月8日、本弟子(ほんでし)6人を選定し、さらに同月一三日、ご入滅を前に『身延山付嘱書(みのぶさんふぞくしょ)』をもって、日興上人を身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の別当(一山の統括者)と定められました。
『身延山付嘱書』には、血脈付法(けちみゃくふほう)の日興上人に随(したが)わない門弟(もんてい)や檀越(だんのつ)は、大聖人の仏法に背く非法(ひほう)の衆(しゅ)、謗法(ほうぼう)の輩(やから)であると、厳しく誡(いまし)められています。

『身延山付嘱書(みのぶさんふぞくしょ)』
『身延山付嘱書』
『身延山付嘱書』 〔書き下し〕

釈尊(しゃくそん)五十年の説法(せっぽう)、白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう)に相承(そうじょう)す。身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の別当(べっとう)たるべきなり。背(そむ)く在家出家共(ざいけしゅっけども)の輩(やから)は非法(ひほう)の衆(しゅ)たるべきなり。
弘安五年 壬午(みずのえうま) 十月十三日
日蓮花押
武州池上(ぶしゅういけがみ)

『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』の講義をされる大聖人
『立正安国論』の
講義をされる大聖人
『立正安国論』のご講義

弘安5年(1282年)9月18日、武蔵国池上宗仲邸(むさしのくにいけがみむねなかてい)に到着された日蓮大聖人は、同月25日から弟子檀越に対して『立正安国論』の講義をされました。これは門下一同に対し、身軽法重(しんきょうほうじゅう)・死身弘法(ししんぐほう)の精神をもって、広宣流布の実現に向かって精進せよ、との意が込められています。
これによって古来、「大聖人のご生涯は立正安国論にはじまって立正安国論に終わる」といわれています。

弟子檀那(でしだんな)の見守るなか安祥(あんじょう)としてご入滅された日蓮大聖人
弟子檀那の見守るなか安祥としてご入滅された日蓮大聖人
■ご入滅(ごにゅうめつ)

日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時ごろ)、御年61歳をもって安祥としてご入滅されました。このとき大地が震動し、初冬にもかかわらず桜の花が一斉に咲いたと伝えられています。

大聖人のご入滅は単なる寂滅(じゃくめつ)の相ではありません。御本仏日蓮大聖人が、そのご法魂(ほうこん)を本門戒壇の大御本尊として留(どど)められ、永遠に衆生を救済されるという不滅の滅の妙相(みょうそう)を現されたものです。

葬列(そういれつ)の様子
葬列の様子

葬儀の一切は、血脈付法の大導師日興上人が指揮を執られました。
その後、日興上人は初七日忌(しょしちにちき)の法要を修(しゅう)し、同月21日早朝、ご遺骨を捧持(ほうじ)して池上を発ち、同月25日に身延へ帰山(きさん)されました。

日興上人筆『宗祖御遷化記録(しゅうそごせんげきろく)』
日興上人筆
『宗祖御遷化記録』
『宗祖御遷化記録』(しゅうそごせんげきろく)

この書は、日興上人が日蓮大聖人の葬儀の様子などを記録として残されたものです。
ここには、大聖人の主なご事蹟(じせき)やご入滅直前の本弟子6人の選定、ご所持の一体仏(いったいぶつ)や経典に関するご遺言なども記されています。