熱原法難と本門戒壇の大御本尊(あつわらほうなんとほんもんかいだんのだいごほんぞん)
日蓮大聖人は、熱原法難(あつわらほうなん)において不惜身命(ふしゃくしんみょう)の信仰を貫いた農民信徒の赤誠(せきせい)を機縁(きえん)として、出世(しゅっせ)の本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊をご図顕されました。
富士方面を弘教される
日興上人 |
■日興上人の富士弘教(にっこうしょうにんのふじぐきょう)
日蓮大聖人が身延に在山中(ざいざんちゅう)、日興上人はお給仕のかたわら、駿河国(するがのくに「静岡県」)富士方面の弘教に精励(せいれい)されました。 |
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襲撃を受ける熱原信徒
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■熱原法難(あつわらほうなん)
日興上人の富士弘教に対し、滝泉寺の院主代行智(いんじゅだいぎょうち)らは奸計(かんけい)をめぐらし、日蓮大聖人の仏法を信ずる熱原の人々に迫害を加えました。 |
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改宗を迫られる熱原信徒
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■三烈士の殉教(さんれっしのじゅんきょう)
熱原における迫害の急報(きゅうほう)を受けた日蓮大聖人は、直ちに『滝泉寺申状(りゅうせんじもうしじょう)』をしたためて、問注(もんちゅう)に備えられました。 |
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蟇目の矢
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蟇目の矢 矢の先端部分に、鏃(やじり)のかわりに穴をあけた鏑(かぶら)を取り付けたもの。蟇目の由来は、鏑にあけられた穴が蟇蛙(ひきがえる)の目に似ていることによります。穴から風が入って音を発するので、妖魔(ようま)を降伏(ごうぶく)するとされています。 |
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熱原三烈士の顕彰碑
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熱原法難の14年後、平左衛門尉頼綱父子は謀反(むほん)を起こして誅殺(ちゅうさつ)され、一族が滅亡しました。これは法華の現罰です。 |
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出世の本懐を遂げられた
日蓮大聖人 |
■出世の本懐(しゅっせのほんがい) - 本門戒壇の大御本尊ご図顕(ほんもんかいだんのだいごほんぞんごずけん) - 日蓮大聖人は、熱原農民信徒の不惜身命の信仰を機縁として、弘安2年(1279年)10月12日、楠(くすのき)の厚く大きな板に妙法の曼荼羅(まんだら)をしたためられ、弟子の和泉公日法(いずみこうにっぽう)に彫刻を命じ、出世の本懐である大御本尊を建立されました。 この御本尊は、大聖人が『経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)』に 『出世の本懐』 |
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日蓮大聖人御真蹟
『聖人御難事』 |
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インデックス
1. » ご誕生から宗旨建立
2. » 鎌倉弘教
3. » 法華経の身読
4. » 竜口法難
5. » 佐渡配流
6. » 身延入山と門下の育成
8. » 血脈相承とご入滅
10. » 第三祖日目上人と広布への願業
『日蓮大聖人のご生涯と正法伝持』より