ご誕生から宗旨建立(ごたんじょうからしゅうしこんりゅう)

末法の闇を照らす日輪のごとき仏法の出現。
日蓮大聖人は、旭日に向かって南無妙法蓮華経の題目を唱え、宗旨を建立されました。

ご誕生の様子
ご誕生の様子
■ご誕生

日蓮大聖人は、貞応元年(1222年)2月16日、安房国東条郷片海(あわのくにとうじょうのごうかたうみ「千葉県鴨川市」)に誕生し、幼名を善日麿(ぜんにちまろ)と名づけられました。
ご誕生のとき、庭先に清水(せいすい)が湧き、海中に蓮華の花が咲いたと伝えられています。

清澄寺に登る善日麿
清澄寺に登る善日麿
■出家・得度(しゅっけ・とくど)

天福元年(1233年)、12歳で生家にほど近い清澄寺(せいちょうじ)に登り、「日本第一の智者となし給え」との大願(だいがん)を立て、学問に励まれました。
16歳で道善房(どうぜんぼう)を師として剃髪・得度し、名を是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と称されました。

遊学に旅立つ蓮長
遊学に旅立つ蓮長
■緒山遊学(しょざんゆうがく)

蓮長は、多くの仏典・書籍を求め、政治・経済の中心地であった鎌倉や、仏教の中心地であった比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)など、諸宗緒山を歴訪されました。
のちに日蓮大聖人は「十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺(おんじょうじ)・高野(こうや)・天王寺等の国々寺々あらあら習い回(めぐ)り候(そうろう)」(妙法比丘尼御返事「みょうほうびくにごへんじ」)と記されています。

清澄山嵩が森での立宗宣言
清澄山嵩が森での立宗宣言
■宗旨建立(しゅうしこんりゅう)

遊学の旅を終えられた蓮長は、建長5年(1253年)3月28日早暁、清澄山の頂・嵩が森に登り、旭日に向かって「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、末法下種の宗旨を法界に宣言されました。
1カ月後の4月28日、清澄寺の諸仏坊において、大衆に向かい、法華経こそが最高の法であり、末法の衆生は南無妙法蓮華経によってのみ救われ、それ以外の教法を信ずることは大きな誤りであるとし、宗旨を建立されました。
そしてこのとき名を日蓮と改められました。

『南無妙法蓮華経の題目』
日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の題目について、「文(もん)にあらず、義にあらず、一経(いっきょう)の心なり」と述べられ、この題目は単なる経題(きょうだい)ではなく、法華経本門寿量品(ほけきょうほんもんじゅりょうほん)の文底(もんてい)に秘沈された肝心の法であると説かれています。また、「三世十方(さんぜじっぽう)の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種(しゅ)として仏に成り給えり」と述べられて、この題目こそ三世十方の諸仏が成道(じょうどう)した根本の法であり、仏法のあらゆる功徳がそこに納められていることを明かされています。
末法の一切衆生(いっさいしゅじょう)は、この南無妙法蓮華経の題目を御本尊に向かって唱えることにより必ず成仏を遂げることができるのです。